いばっちゃいけない、なめられちゃいけない。

「いばっちゃいけない、なめられちゃいけない」一日何回も言っているとなめられない顔になる。なめられる奴はなめたい顔をしているんだ。ってひとりさんは言います。

 

私は特に仕事中、なめられる態度をとっていてはいけない、びくびくおどおどするのは出来るだけやめて、自信があるふりしていようと思いました。

 

そして、何回も「いばっちゃいけないなめられちゃいけない」と唱えていると、自分で自分の応援をしているような、自分のことを律しているような気分になりました。

 

一緒にお泊りでスキーに行って、女の子が何もさせてくれないって・・・「なめられてるんだよ」っていう面白い話があります。

 

なめられるってそういうことかってすごくよくわかる例えでした。

確かになめられていては、愛は生まれません。

 

私は主人になめられていたのか・・・と思い始めたら、腹が立ってきました。

 

前にも書きましたが、主人は仕事から帰るとごはんだけ食べて、リビングの床に寝ころんだら、朝までそのままです。そして朝ギリギリに起きてシャワーを浴びて出ていきます。その生活を何年も続けました。

 

そして私が何かを言うと、怒っているということをアピールして、だんまりを決めます。ひどいときは1ヶ月口を聞きませんでした。

 

話しかけには答えようとしないのに、大きな音を立てて冷蔵庫を閉めたり扉を閉めたり、開けたり閉めたりを繰り返しました。

 

いばっちゃいけないなめられちゃいけない、とにかく何回も唱えました。

時には、車の中で、大声で叫びました。

「いばっちゃいけない、なめられちゃいけない」涙も出ました。声もかれました。それでも私は言い続けました。

 

それから2年くらい経ったころ私は、家を出る覚悟をしました。

子どもは、18歳、16歳、14歳でした。結婚19年目です。

 

私は主人に「1年後に家を出る」と宣言しました。

 

主人はモノを捨てられない人でしたので、「1年後も家の中の状態が今と同じで、モノが減らなければ私は出ていく」と伝えました。

 

ひとりさんは、人は変えられない、変えられるのは自分だけだと言われています。本当にその通りだと思います。

 

それらを信じて、主人を変えるのではなく、自分が変わればいい、自分が納得できる生き方をしようと思えました。

 

離婚なんて思ってもいない出来事でした。

 

だけど、私の「家を出ます」という宣言は意外とあっさり言えました。

勇気が必要だった割にあっけなく言えてしまったような気がします。

 

そして肝心な主人の反応は、

「わかった、1年後には何とかする」という言葉でした。

 

その言葉は、いつもの聞きなれた言葉でした。

わかった、考えとく、何とかする

 

20年間、期待と裏切りと後悔を繰り返してきた言葉です。聞きなれたというよりは、聞き飽きた言葉でした。

あまりにも中身のない、先の読める言葉でした。

1年後の結果は分っていましたが、私自身にも家をすぐに出る勇気がなかったので、その時は宣言だけして1年待つことにしました。

 

つづく。