離婚調停と生成発展塾③

2ヶ月のブランクがあってからの調停は、調停委員さん二人が、先に元夫との三人での話し合いから始め、一旦元夫を退室させてから、私が呼ばれるという形でした。

 

私は控室で、元夫と調停委員さんとの話し合いを待っている間中、ずーっと、「私は愛と光と忍耐です」「○○(元夫)に全ての良きことが雪崩のごとく起きます」「愛しています、ついてる、嬉しい、楽しい、感謝しています、幸せ、ありがとう、許します」と思いつく言葉を何回も、何回も唱え続けました。

 

そして、調停委員さんに呼ばれ、元夫の今の意思を聞くと、

「離婚したくない」

ということでした。

 

すごくがっかりしました。

元夫の性格は理解しているつもりでしたが、ここまでとは思っていませんでしたし、2ヶ月も調停委員さんや裁判官さんを待たせて、同じことしか言えないのかと、呆れてしまいました。

 

調停委員さんから言われたことは、「ご主人は家のゴミを捨てる暇もなかった、忙しかった、と言われています。あのご主人は変わりませんね。いつも言っておられることは一緒です」ということでした。

 

そしてもう一人の調停委員さんは、「ご主人は年齢的にもいろんな役職についていて、忙しいんだと思います、お酒も飲まない、たばこも吸わない、女遊びをするでもない、賭け事をするでもない、真面目に会社勤めされていて、奥さんのことも愛していると言っておられるのですから、もうしばらく我慢したら、退職金も手に入るし、自由に生活できると思いますよ。お二人は特に殴り合いのけんかをしたりということも無いみたいですし、考え直したらどうですか」と言われました。

 

そして、最後に裁判官さんからお話があり、またもやその離婚調停は閉廷に終わりました。

 

次回の調停は成立しないので、もしこのまま離婚の協議を進めたいのであれば、弁護士をたてて裁判という形を申請してくださいと説明を受けました。

 

私は、その日には離婚の話が進展すると思っていましたので、また元夫に裏切られた気分で、家庭裁判所を後にしました。

 

それでも私はひとりさん脳のおかげで、気持ちを切り替えられて、

「さすが、私が離婚したいと心から願った人だなあ、あっぱれだなあ」と思いました。

 

そして、いつかこの経験を生かせる日があるような気がしました。

 

(離婚調停なんて、テレビの中の世界で、海外の人か芸能人のすること) くらいに思っていましたが、その考えが古いことも良く分かりました。そして、後になって知りましたが、意外と身近にもたくさんの人が同じような体験をしていました。

 

私の離婚調停体験は、こんな形で終わってしまいましたが、離婚への道はそのあと、あっけないくらいに簡単にやってきました。